太平洋共同体

太平洋共同体とはジョンソン米大統領が1966年7月の全米大学卒業生協会での演説で新しい太平洋時代の到来とアメリカの太平洋国家の義務遂行を宣言して以来のアメリカの対アジア墓本構想のことで、その主要な目的は、日米安保体制の強化を軸にしながら、アジア、太平洋の反共諸国を結集しで一大政治ね軍事同盟を造り、アジアの社会主義陣営、民族解放運動に対抗していこうというものです。以来、ニクソンドクトリンのもとで、日米安保条約の改定、ASPAC、ASENAなどの編成、ANZUSの補強など努力が重ねられているましたが、多くの矛盾を抱えており、思惑どおり事態は進展していませんでした。
アジア太平洋協議会、通称アスバックは、アジア太平洋地域における多角的協議を通じての運帯強化を目的としますが、実際にはアジア太平洋の反共諸国の政治的同盟となっていました。加盤国は韓国、日本、台湾、フイリピン、マレーシア、南ペトナム、タイ、オーストラリア、ニュージーランド、ラオスの10力国で、機構は閣僚会議のほか常任委員会、事務局がありました。機構創設のイニシアチブをとったのは韓国で、1964年9月提唱。第一回会議66年6月ソウル、第二回会議67年7月バンコク、第三回会議68年8月キャンベラ、第四回会議69年6月川奈、第5回会議70年6月ウエリントン、第6回会議71年7月、マニラ、第7回会議72年6月ソウルと現在まで7回の会議が開かれましたが、その中で軍事同盟の結成に持っていこうとする韓国、台湾、南ベトナムなどと、非同盟諸国まで含めた多角的協議機関として定着させようとする日本などとの間に底流において対立がありましたが、70年代に入って中国の積極的外交姿勢、インドシナをはじめ、アジアにおけるアメリカの非米化政策、特に米中接近、ベトナム和平によって決定的打撃をうけ、第8回会議は開かれないまま、事実上解体してしまいました。

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