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1973年1月末、長きに渡ったベトナム戦争の終焉を告げるパリ協定が締結され、アジア情勢は新しい段階に入りました。こうした情勢発展の中で、東南アジアには激動が起っていました。この地域に20年以上に渡って維持されてきた、既成の国際体制−、冷戦体制が音をたてて崩壊し、東南アジア諸国はこれに替わる新しい体制を模索しなければならなくなっていました。
第二次大戦後、アジアは世界情勢の震源地となりました。ベトナム、朝鮮、中国の人民革命は勝利し、社会主義に移行し、その影響下に東南アジアの民族独立運動が高まっていきました。植民地体制の危機に直面して、戦後世界の憲兵となったアメリカは、アジアの社会主義を封じ込め、東南アジアの民族解放運動を抑止する目的から、いわゆる中国封じ込め体制、反共冷戦体制を強引に造り上げました。1950年代初期の米比、米タイ、米パキスタンといった二国間同盟を土台として、54年9月、東南アジアにおける共産主義勢力の武力侵略と破壊活動を共同で阻止する名目でSWATO東南アジア条約機構が結成されました。この他にもベトナム戦争激化のなかでASPACアジア太平洋協議会も東南アジア諸国に極東、太平州を含めて結成されました。これらの隷属的に構築された軍事、政冶ブロックを利用して、アメリカは中国を封じ込め、ベトナム戦争を遂行してきました。また東南アジアの反動的支配層も、この冷戦体制に組込まれそれに協力することによって自己の支配体制を維持できました。しかしアメリカが各種の同盟、各国の反動勢力を動員し、莫大なお金と人員を投入した史上景大のベトナム戦争は見事に失敗しました。戦争の敗勢が強まるなかで、アメリカは敗北を肪ぐために、これまで封じ込めの最大の目標であった中国に接近し、大国による世界支配体制である三極講造に組入れました。これは東南アジアにおける冷戦体制の基本目標の一つを喪失させ、それの存在理由を薄めること十分で従来の封じ込め体制の駒として忠実に励んできた現地の反動的支配層の動揺とあいまって、この地域における、冷戦体制崩壊の糸口を作り出すことになりました。
アメリカの三極構造構築による、ベトナム人民の孤立化、各個撃破策にもかかわらず、ペトナム人民を屈服させることはできず、結局73年1月のパリ協定、2月のラオス協定の調印となり、カンボジアでも親米政権は崩壊寸前に追い込まれ、冷戦体制は力の限界をはっきりと見せつけられ、それの決定的な崩壊を強いられることになりました。アジアにおける国際関係の枠組の大ぎな変化、ベトナムの東南アジアの民衆の中への、ドミノ的な波及の危険性を前にして、東南アジア諸国の反動的支配層は、対米不信の度を強めながらも、今までとは異なった形で、自己の勢力安定の道を追求しなければならなくなりました。国内的には一様に強権的な支配体制の強化を策しでたフィリピンのマルコス政権は、共産主義の反乱を理由に72年9月戒厳令を施行、自己に権力を集中する内容の改憲案を出し、73年7月強引に国民集会を開いて採択し、独裁体制を確立しました。タイでは、71年11月の軍部クーデクー以来、軍部独裁体制が固定していましたが、74年10月の学生反乱によって崩壊したものの、情勢は流動化の状態にありました。九・三〇事件以来軍部独裁政権が続いていたインドネシアでは、73年3月、国民協議会が開催され、民政を装った、スハルト翼賛体制強化の措置がとられました。この他マレーシア、シンガポールでも、軍部独裁は取っていないものの、反動的支配体制を強化する方向が追求されていました。このように東南アジアの反動的支配層は内部では独裁的な支配体制を打ち固めることによって、大衆の民主主義的要求を押さえながら、これを家計や土台にして対外的には国際環境の変化に順応した政策をとり体制を造ろうとしていました。国際的孤立化がら脱れるためにも、ソ連、中国、北ベトナムなど社会主義諸国との国交樹立を模索していましたが、その前提としてこれまで封じ込め体制を義務づけてきた大枠を少くとも取り払わなければなりませんでした。そのためは、73年春にはASPACを存在意義が薄れたとして機能を停止させ、ついで同年9月末にはアメリカの了解のもとにSEATOも軍事機構としての性格を弱める決定をしました。こうして東南アジアにあった二大軍事、政冶ブロックは事実上消滅しました。東南アジア諸国の反動政権は軍事ブロック解消の措置を踏まえて、その一方で中、ソ、北ベトナムなど社会主義諸国への接近策をとりながら、他方では新しいイデオロギー抜きの新形式による地域機構創設を説くオーストラリアのホイットラム構想、ビルマの東南アジア地域会議を内容とするネ・ウィン構想、さらにタイやフィリピンのASEAN東南アジア諸国連合にインドシナ、ビルマ等の5力国を加え10力国に拡大しこれを5大国が保障した形の東南アジア中立化構想などの構想が出されていました。

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