ローデシア問題

ローデシア問題とは1965年11月、南ローデシアの白人自治政権の対英、一方的独立宣言をめぐって引き起こされた間題のことで、南ローデシアは南アフリカ同様人種差別が激しく、僅か22万人の白人入植者が400万人のアフリカ人をあらゆる面で抑圧してきました。イギリスはこの南ローデシアを東アフリカにおける植民地支配の砦とするために、53年ニヤサランド、北ローデシアを加えて中央アフリカ連邦を結成しましたが、民族解放運動の高まりの中で連邦は解体し、他の二地域は独立し、ローデシアだけが取り残されることとなりました。しかもローデシア内部でもアフリカ人の独立運動は強く、白人自冶政権の地位を脅かすに至りました。孤立感と焦燥感に煽り立てられた白人政権は、アフリカ人に対する支配を一層強めるために、一方的独立を宣言し、70年2月には議会を解散し、白人優位の共和制への移行を宣言しました。宗主国イギリスは、アフリカ諸国の激昂の前に、アフリカ全体に対する戦略観点から、一方で、経済制裁を含む様々な対抗措置をとりながらも、他方では南アフリカを通じて重要物資のローデシアヘの輸送を行なうという欺職的なやり方をつづけ、72年保守党政権は全面和解にまで進みました。これを不満とするローデシアのアフリカ人は暴動などで抵抗し、アフリカ諸国も闘争の援助を行なっていました。

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