ハバナ宣言とキューバ危機

ハバナ宣言は2つあり、第一次ハバナ宣言は1960年9月、第一回キューバ人民全国大会で出されたもので、米州機構外相会議のサンホセ宣言に反対し、中ソとの友好、土地改革、工業化の推進など革命前進の決意を高らかにうたいあげました。第二次ハバナ宣言は62年2月、同じく第二回全国人民大会で採択され、米帝国主義をラテンアメリカ人民の敵とし、キューバ社会主義革命の大義をうたい、ラテンアメリカ革命の不可避性と必勝を強調したものでした。
キユーバ危機は1962年10月、キューバをめぐる米ソの軍事的対決で、核戦争にまで発展しそうになった国際危機。61年のプラヤヒロン侵攻で失敗したアメリカは、以来、キューバに対する軍事的制圧を強化しました。これに対してキューバはソ連からミサイルを含む武器援助をうけ、防衛力を強化しました。アメリカは敵前上陸作戦準備や海上封鎖を行ない、米海軍とソ連艦隊の衝突寸前の事態に陥りました。ここで米ソ首脳間にアメリカのキューバ不侵攻、ソ連のミサイル撤去と査察の承認などで妥協が成立し、一応の危機は去りました。しかしキューバは査察に反対し、経済封鎖解除、不侵略公約、空海からの査察停止、海賊行為中止、グァンタナモ基地返還の五項目要求を出しました。中国などはソ連の態度を冒険主義であり同時に降伏主義であると非難しました。

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