バングラデシュ人民共和国

1970年12月のパキスタンの民政移管の総選挙で、東パキスタンのアワミ運盟が西パキスタンの人民党を抑えて勝利しました。しかし、従来から西パキスタンの圧迫に反対して、東パキスタンの自治を要求してきたアワミ連盟の政権獲得は、軍部および郡部と結ぶ人民党にとって脅威で、そこから71年3月軍部政権は東パキスタンに対する軍事弾圧に乗り出しました。これに抗して東パキスタンでは自冶要求の運動から民族自決の要求が高まり、3月26日アワミ連盟のラーマン総裁はバングラデシュ人民共和国の独立を宣言し、共和国はパキスタン軍の激しい弾圧で危機にさらされましたが、71年末の第三次印パ戦争でパキスタンが敗北した結果、現実に成立するに至りました。
1957年7月、当時東パキスタン最大の政党であったアワミ連盟の内部対立からアブドル・ハミド・カーン・バシャニの指導下に生まれた政党が民族アワミ党バシャ派でした。従来から非同盟・中立、民族平等、自治権拡大、土地改革を唱えてきましたが、バングラデシュ独立戦争では大きな役割を演じました。バングラデシュ独立後は野党の地位にあって、下層階級の利益を代弁して撤底的な土地改革、真の社会主義建設などを要求していました。中国派と一般に言われていましたが、その政綱は必ずしもも中国一辺倒ではなく、自主独立でした。

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