ベンガル主義とアワミ連盟

1947年独立のパキスタンは多民族国家ですが、この中で西パキスタンのパンジャーブ人が東バキスタンのベンガル人を支配してきました。ベンガル人は絶えずにこの支配に反対し、自冶権の拡大または民族自決の要求を提起して運動化してきました。これをベンガル主義またはベンガル民族主義と呼び、71年3月バングラデシュ人民共和国の独立宣言にまで高まりました。
アワミとはウルドゥ語で人民という意味で、バングラデシュ最大の民族主義政党です。1949年同教連盟から分離した回教徒アワミ連盟の後身で、ブルジョアジ−、小ブルジョアジー、学生、知識人からなります。パキスタンの独立以来、西パキスタンの東パキスタンに対する圧力が強まるにつれて自治要求の運動を高め、70年末の議会の総選挙では、過半数を制しました。総選挙の結果軍政が民政に移管され、連盟が政権を組織すれば当然東パキスタンの自治要求が強まるとみた西パキスタンの支配層は、71年3月以来東パキスタンの運盟を撤底的に軍事弾庄して、100万以上の住民を殺害し、自治要求を押さえ込もうとしました。しかし結局失敗し、東パキスタンがバングラデシュとして独立して以来支配政党となり、73年3月の総選挙では全議席を獲得しました。

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