中印国境紛争

中印国境紛争とは中国とインドの間の国境をめぐる紛争のことで、中印面国間には伝統的、慣習的な境界線はありますが、明確な国境線は画定されていませんでした。インドはイギリス統治時代に人為的に引かれたマクマホンラインを受け継ぎましたが、これを国境線と主張していますが、中国側は認めず、伝統的、慣習的な境界線を主張し、そこからインドが1950年代末親西側、反中国の傾向を強めるにしたがって国境紛争を頻発させることになりました。第一回目の紛争は、59年春のチベット反乱数力月後の8月インド東北国境地域とラダク地区をめぐって起こりました。同年11月中国は両国首相会談を提唱し、60年4月、ニューデリー会談が実現しました。この会談でも紛争打開の道は開けませんでしたが、以後小康を保ちました。しかし、62年7月ラダク地区で両国軍の武力衝突が再発し、以後9月、10月と大規模な戦闘が繰り返され、この戦闘でインド軍は完敗し、11月12日中国は一方的に停戦し平和会談を提議しました。インド側は平和会談に応じないまま事実上の停戦が続いていましたが、中国の文革の遇程で67年9月、68年6月と武力衝実が再発し、現在に至るも緊張関係が続いており、両国間の国境紛争の解決はありそうもありませんでした。

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